Home > 200311
200311
トン・コープマン チェンバロリサイタル
- 01-11-2003 (土)
- 演奏会・舞台
平成15年10月30日/東京カテドラル聖マリア大聖堂
『目白坂』という名の急な坂を上りきると、ようやく暗がりの中に四隅を屹立させる聖堂が見えてくる。晩秋の日はすでに落ち、建物の周囲を包む薄闇のなか、いくつもの人影が静かに入口に向けて続く。
ざわめく聖堂の内部は、中央天井から垂直に落ちてくるひとつの強烈な白色ライトのみが、すべての色を奪い取りながら、冷たく覆いかぶさるコンクリートの壁面を浮かび上がらせ、大理石の五階の祭壇上に据えられた黒地に金の草木装飾が描かれたチェンバロをくっきりと照らし出している。
定刻を十分ほど過ぎて、満席の聴衆が静まるのを待って、トン・コープマンが客席中央奥からまっすぐに壇上に進み出る。
はじまりはスウェーリンクの二曲。
この聖堂に特徴的な、音がどんどん天空に吸い込まれて行く感じに耳がなれるまで、そして演奏者の指がこなれるまで、すこしの時間と努力が必要だ。二曲目の涙のパウ゛ァーヌにうつる頃には、どうやら私の二つの耳も、楽器から直接入って来る音と、空中にいつまでも漂っている音とを拾うことに成功し、右脳もうまく機能しはじめたようだ。
前半の白眉は、フローベルガーの「トッカータ」「トンボー」の二曲。しめくくりのD.スカルラッティのソナタで、'トン'らしい痛快な指さばきで聴衆を唸らせた。
後半は、デュフリやパーセルの遅い曲もしっくりと聴かせ、興が乗ったところを見せて、しみじみとした思いが場内に広がっていく。自家薬籠中のものとなっているブクステフーデやバッハは、でだしの音の立ち上がり方からして並大抵ではない。
この会場を設定したのは演奏者の希望であったろうか?このあと、オランダに縁の深い長崎・浦上天主堂での演奏会も予定されているという。
一曲一曲、最後の一音が大気に拡散し、そして消えてゆくその瞬間を、ひとりひとりの耳が聴きとどけるまで、静寂の音楽が場内を満たす。
どう表現したら良いのだろう。
美しいとか感動したということとは違う、この季節、一年の、そして人生の秋をしみじみ思い、「あしたも前むきに生きられる」、そんな気持ちになった一夜でありました。

『目白坂』という名の急な坂を上りきると、ようやく暗がりの中に四隅を屹立させる聖堂が見えてくる。晩秋の日はすでに落ち、建物の周囲を包む薄闇のなか、いくつもの人影が静かに入口に向けて続く。
ざわめく聖堂の内部は、中央天井から垂直に落ちてくるひとつの強烈な白色ライトのみが、すべての色を奪い取りながら、冷たく覆いかぶさるコンクリートの壁面を浮かび上がらせ、大理石の五階の祭壇上に据えられた黒地に金の草木装飾が描かれたチェンバロをくっきりと照らし出している。
定刻を十分ほど過ぎて、満席の聴衆が静まるのを待って、トン・コープマンが客席中央奥からまっすぐに壇上に進み出る。
はじまりはスウェーリンクの二曲。
この聖堂に特徴的な、音がどんどん天空に吸い込まれて行く感じに耳がなれるまで、そして演奏者の指がこなれるまで、すこしの時間と努力が必要だ。二曲目の涙のパウ゛ァーヌにうつる頃には、どうやら私の二つの耳も、楽器から直接入って来る音と、空中にいつまでも漂っている音とを拾うことに成功し、右脳もうまく機能しはじめたようだ。
前半の白眉は、フローベルガーの「トッカータ」「トンボー」の二曲。しめくくりのD.スカルラッティのソナタで、'トン'らしい痛快な指さばきで聴衆を唸らせた。
後半は、デュフリやパーセルの遅い曲もしっくりと聴かせ、興が乗ったところを見せて、しみじみとした思いが場内に広がっていく。自家薬籠中のものとなっているブクステフーデやバッハは、でだしの音の立ち上がり方からして並大抵ではない。

この会場を設定したのは演奏者の希望であったろうか?このあと、オランダに縁の深い長崎・浦上天主堂での演奏会も予定されているという。
一曲一曲、最後の一音が大気に拡散し、そして消えてゆくその瞬間を、ひとりひとりの耳が聴きとどけるまで、静寂の音楽が場内を満たす。
どう表現したら良いのだろう。
美しいとか感動したということとは違う、この季節、一年の、そして人生の秋をしみじみ思い、「あしたも前むきに生きられる」、そんな気持ちになった一夜でありました。
Home > 200311
- Recent Comments
- Recent Trackback
- Search
- Meta
- Links
- Feeds
